石破 茂 です。
「あしたはできるようにするからもうお願い許して」「遊ぶってあほみたいやからやめるのでもう絶対やらないからね」
やや旧聞に属することで恐縮ですが、このような文章を遺して亡くなった船戸結愛ちゃん(当時五歳)は、逮捕された義父の船戸雄大容疑者に午前4時から平仮名の練習を強要されていたと報じられています。死亡時の体重は12.2キロ、言いようのない痛ましい事件でした。
これに対して、各都道府県に設置されている児童相談所の機能を強化するとともに、警察との連携を強化すべきとの対応策が検討されていますが、同時に保育園を活用したシステムを構築することもまた必要です。
2015年から始まった「子供子育て支援制度」では保育の要件が変わり、保護者の従来のフルタイム就労にパートタイムも追加され、更に「虐待やDVの恐れがあること」も加わりました。虐待やDVが明確でなくともよく、保護者が育児に困難を感じていれば預けることが出来るようにも明示されました。ガイドラインは「保護者との信頼関係を築きながら保育を進めるとともに、保護者からの相談に応じ、保護者の支援に努めていくこと」と定めており、保育所が担う役割が変わったことを現場に周知しなくてはなりません。
その場合、保育所が必要以上に保育時間などを厳格に管理したり、上から目線の「親教育」に偏ったりしてはかえって親を追い詰めてしまうことにもなりかねませんが、「保護者の信頼関係を築くこと」と「親からの虐待に遭っている児童の保護」という、共に崇高でありながらも一種異なる目標を両立させることには大きな困難が伴うのであり、これを児童相談所や保育園の現場だけに委ねてしまうことがあってはなりません。
報道によれば、2016年3月の社会保障審議会専門委員会の提言を受けて、その後の改正児童福祉法の付則に「2年以内に児童相談所の在り方を検討し必要な措置をとる」と定められ、厚労省内に検討会が設置されたのですが、作業は立ち消えとなったまま今日に至っているとのことです。真相はわかりませんが、どうしてこのようなことになってしまうのか。
あまりに痛ましく悲惨な事件であったため、両親に対する批判が沸き起こり、それは当然でもありますが、両親の資質のみに問題を限定してしまうようなことは避けるべきです。
待機児童ゼロの目標の下で保育所の整備が進んでおり、それ自体は望ましいことなのですが、「量」とともに「質」の向上も併せて進めていかなくてはなりません。若い保育士の離職率が高いこと、資格を持ちながら現場に出ていない保育士が60万人もいること、改善が進められているとはいえ、保育士の待遇は小学校教諭とはまだまだ大きな差があることなど、問題は山積しています。
意外に思われるかもしれませんし、講演などの際にご紹介いただく私の経歴の中にもまったく入っていないのですが、当選二回の時は厚生分野の専門家を志して社会労働委員会(現在の厚生労働委員会)にずっと籍を置き、理事も務めて医療法の改正などに携わっておりました。貧しい人のために働きたい、との思いから内務省に入り、昭和13年に内務省から分かれて厚生省が発足した時には厚生事務官となった亡父の影響もあったように思います。厚生政務次官を望んだこともあったのですが、様々な事情からその時は農林水産政務次官を拝命することとなり、その後この分野に携わることはありませんでした。もしあの時、希望通り厚生政務次官を拝命していればその後の人生は今とは全く違ったものになっていたに違いありませんし、今でも弱い立場、辛い立場の人々のためにこそ働きたいという思いは強くあります。11日水曜日に保育関係の集会で講演をしながら、ふとそんなことを考えたことでした。
週末は、7日土曜日が新潟県で講演や諸会合に出席、8日日曜日は「時事放談」出演(午前6時・TBS系列・収録)、年一回の大集会「どうする日本」で講演(午前10時・JA中央・倉吉市越殿町、午後1時半・とりぎん文化会館・鳥取市尚徳町)、鳥取県看護連盟通常総会(午後1時・同)、鳥取市湖南地区石破後援会で講演・懇親会(午後4時・鳥取市吉岡温泉町)という日程です。
明日7日から衆議院議員在職33年目に入ります。初当選した32年前のことが、ついこの前のことのようにも、ずいぶんと昔のことのようにも思い出されます。
梅雨明けしたはずなのですが、各地で豪雨が続いています。被害にあわれた方には心よりお見舞い申し上げます。
皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。
生年月日:昭和32年2月4日
当選回数:11回
学歴:1979年3月 慶應義塾大学法学部卒業
得意な政策分野:安全保障・農林水産・地方創生