八木 哲也です。地元の愛知県豊田市・みよし市の地方新聞「矢作新報」(H30.5.11)に掲載された私のエッセイ「時々刻々 No.858」をご紹介します。
【「時々刻々 No.858」】大観の画巻に今の政治状況を見る
国会周辺の桜は散った。色は移ろい、いまは銀杏が薄緑色のベールを纏い、つつじも咲き始める。草木はいつも違うことなく順番に芽吹く。ごく当たり前のことかもしれないが、これこそ自然の理(ことわり)というのだろう。
4月21日、安倍晋三首相主催の「桜を見る会」が東京の新宿御苑で開かれた。これまで私が参加してきた同会は名前の通り、愛でる対象としての桜があった。ところが今年は花の色は消え、映るのは葉桜。今年は4月が例年にない暑さといわれるせいかもしれない。それでも当日は全国から1万7千人が招待され、御苑内は立錐の余地もない。歩くのも難しい程だった。
安倍首相は前日に訪米を終えて帰国したばかりだったが、意気軒高に挨拶された。トランプ大統領との首脳会談の成果は言わずもがなだが、森友学園、加計学園、自衛隊の日報、名古屋市立中学校での前川氏講演をめぐる文部科学省の対応、財務事務次官のセクハラ……数多くの「問題」を念頭に「膿を出し切って、組織を立て直し、責任を果たしていく決意だ」と力強く言われた。
その日の午後、地元に帰る前に東京国立近代美術館に寄った。「生誕150年横山大観展」だ。午前の喧騒とは対照的に、静謐な空間で「大観」を「体感」した。
目を見張ったのは、大観55歳の作品「生々流転」だ。紙幅55㎝、長さ40m超。日本一長い画巻で重要文化財指定の大作だ。「葉末に結ぶ一滴の水が、やがて大河となり海へと注ぎ天へ昇る。そして再び雲へと転じる水の一生に、人生をなぞらえた」と解説にある。
濃淡だけの水墨画の表現世界を超え、理性的、抑制的に情念が爆発する。静謐な空間に、大観が描く流水の音が轟く。大観は水の一生に、人生をなぞらえただけだろうか。午前の御苑も頭によぎったか、私には画末の雲竜はどことなく今の政治状況のように見えた。
国会議員になって5年余。ここまで混乱が続く国会は初めてだ。所属する経済産業委員会では政府提出法案は2件通過しただけ。文部科学委員会も4件中1件しかない。参議院での審議も考えると、6月20日までの国会会期末までに立法府としてどれだけ法案を成立させることができるのか心配になる。他の委員会も同じだ。空転国会の元凶は上述した「問題」群。中でも森友学園の公文書改竄は絶対に許されない。歴史の解明に古文書が必要であることと同じく、将来世代がこの時代を正確に解明するには公文書が欠かせない。正確な文書は将来への責任だ。
他の問題も含め「いつまでたるいことをやっているんだ!」とご叱責をいただくことがある。立法活動は国会議員の大きな責任だ。混沌とした政局の中でも「寛容な保守」でありたい。
大観は「絵は何処までも心で描かなければならぬ」という。政治もまた然り。「生々流転」で「葉末に結ぶ一滴の水」を「選挙に結ぶ一票の票」と読み替えればどうか。画末の雲竜は軍靴響く暗い時代を映し、警鐘を鳴らしているようにみえる。ゲスの勘繰りといわれるだろうか。
生年月日:昭和22年8月10日
当選回数:3回
学歴:1972年3月 中央大学理工学部管理工学科卒業
得意な政策分野:経済産業 科学技術・イノベーション 文部科学 地方創生
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